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後悔と悶絶の相関関係に対する2、3の考察。

 この間の、ちょっとした後悔+悶絶の続きですたい。

 ようはまた、言葉をごねて心の中身をぶちまけたいのさ。へっ。


 結構前になるのに、未だに悶絶することがあるからなあ。こうやって整理でもつけないと、やっていられないのさ。

 若いね。俺も。

 あ、後続きもんだから前の「我思う故に我あり」を読んでからのほうが3倍(俺比)楽しめます。


 嘘です。

 んで、何が言いたいか。この間の記事は、心に留めていない些細なことが引き起こす、悶絶だった。

 だけど、冷静に考えてみると、悶絶するのってなにもそういうのだけじゃないな、って思い至ったので、また書くよ。俺は。誰にも望まれていなくとも!


 では、どんなことで悶絶するか。悶絶するぐらいだから、失敗であることは間違いない。
 でも、失敗って全てが整合されていないよなあって気付いたんだよね。

 前に書いた、いわゆるプチ後悔は原因も分かっているし、それを大したことないって思っているけど、心のどこかでそれを悔いているから起こっていた。

 けど、結果だけ見れば明らかに失敗しているのに、その経緯をいくら見直してみてもどこで自分が失敗したのか分からない、そういうこともないだろうか。


 自分はいつもどおりやっていたし、誰かの悪意によって阻まれたわけでもない。
 なのに、今目の前にある結果は明らかに自分にとっては不服な、というより失敗に写っている。

 こうなると、なぜこうなったのか確認を取りたがるのが人間。色々考えるだろう。
 けどいくら考えても自分は決定的なミスをしていない。こんなことが稀にある。ない?
 

 んでだ、こうなると全てが悪かったとしか思えない。
 
 自分がやっていたこと、人の行動、環境、時期、それぞれの生み出す相乗効果。全てだ。
 運が悪かったと片付けるにはあまりにも結果は目にはっきりと見えていて、運が悪かったと思える瞬間すら認識できていないのだから、性質が悪い。


 言い換えると、噛みあわせが悪かったともいえるか。運命としかいいようのないこの事態に非力な人間はひれ伏すしかないのだろか。

 決定的なミスを自分ではしていないつもりだから、ふと思い出したときは納得がいかなくて悶絶してしまう。でも、後悔しようにも何を悔いればいいのか分からない。
 
 全てが悪かったのだから。

 これは前に書いた類の後悔と違って、自分で思い出しても、悶絶こそしないが、頭をひねる類のものだろう。

「あそこでああしていたら、違った結果になっていたか?」と想像することすら出来ない。


 失敗という認識しやすい歴然とした事実はあるのに、それを糧に出来ない。これほど不毛なことがあろうか。

 ねーよなあ。だってさ、納得がいかないもん。納得っていうのはある意味で諦めるための理由付けだけどさ、理由つける場所や、理由そのものが皆目検討もつかないんだもん。


 俺はこの手の後悔に対してどうして立ち向かったらいいと思う?

 だってさ、もう結果は「失敗」として与えられているんだから、これはどうにかして過去の産物にして未練を捨てなくちゃならない。けど、人間は無駄に過去は捨てられない。捨てようとしたら、やっぱり歪んで積み重なっていって後の人生を揺るがすことだってきっとある。


 ジェンガは一段一段きちんと積まないといけない。

 俺が思うに、その失敗そのものを片付けられないなら、その前後。失敗するそれ以前の自分と、その後の自分。それを比較するのはどうかな?

 その失敗が自分にもたらしたもの。それを意味づけする。失敗そのものが自分に(いい意味にしろ、悪い意味にしろ)有意義なんだと認識できれば、上の段の安定にならないかな?

 失敗そのもの、その構成からあえて目をそらすような形になるけど、「今の自分はこの失敗のお陰だ(せいだ)」そう思えれば、まだ救いがあるのではないだろうか。
 

 無意味で無価値なものほど人は嫌うし、ね?


 以上!

 は~、なんつーか自分でも整理できていなくて納得しかねていることかくなっつーの。
 ま、結論をつけたんだからいいよね?いいじゃん。
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この記事に対するコメント

>その失敗が自分にもたらしたもの。それを意味づけする。失敗そのものが自分に(いい意味にしろ、悪い意味にしろ)有意義なんだと認識できれば、上の段の安定にならないかな?


ここについてだけど、全くその通りだと思うんだ

いくら考えても理由がわからない失敗なら、
その失敗したという事実を、今後の飛躍の1ステップへのエネルギーにすることで、その失敗を次に生かせるんじゃないのかな。プラスの度合いが大きいかどうかはわからないけど、マイナスにはならないことは確かなのではv-22

以上、経験者は語る、でした^^

いや、これは、失敗の原因を考えずして原因がわからないと甘えてるのではなくて、

いくら考えてもはっきりとした原因がわからない失敗もあるものです。


う~ん、やっぱり教授のブログはおもしろいv-48
【2006/01/12 00:40】 URL | ゆきみん #-[ 編集]


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