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我思う故に我あり。

 突然だけど、書きたくなったよダラダラと。最近長いのは書いていなかったし。

 ま、暇なときとかBG執筆の合間にでも読んでもらえれば、これ幸い。

 ただし、相当つまらないよ。長いし。書いている本人もわけ分かってないし。最近読んだ小説の影響受けまくりだし。

 読まないほうが良いよ~。じゃあ、書くなって感じだけど、書いて自分を納得さて、それをひけらかすことこそ俺のゆがみ解消法、みたいな?

まあいいや、そんな感じ。



 ふと、ちょっと昔(それほど昔ではないことが多いけど)の事を思い出して、それが何か失敗や、失敗そのものじゃなくても自分の中ではそれが失敗の直接な原因として処理されているエピソードなんかだったとき、「ああすればよかったんだよーん!」みたいに悶絶すること、ありませんか?
 
 ようは、昔を急に思い出して後悔していたたまれなくなる事ない?ってこと。

 え?ない?俺はあるの!それもしょっちゅう!

 これ、俺は単なる後悔が言いたいんじゃない。こういう、もう済んだ昔のこと。それでいてその失敗、というよりその時何もしなかったことの方が多いだろうか。とにかくその思い出してしまうエピソードはたいてい自分の頭の中では過去のこととして整理、理解されていて、しかも他人や人生にはさほど大きな影響力をもたないもんだから、自分の中では、失敗として認識されているものの、整合性のある納得のいっているものであることがほとんどだ。

 ようは、自分でも納得行っている本当に些細なミスや、無行動なわけ。だから、意図的に思い出しても、「はは、あのときの俺、ププ、馬鹿じゃん。若かったんだなあ」って言える。全然後悔になんてならない。

 けど、唐突に思い出してしまったときは、それは相当心を苦しめる。失敗してその場で「畜生!」って思うより、静かでゆったりとした苦しみなんだけど、じわじわと心の中に広がって「あー、もう!くそっ」って頭をかいてちょっとイライラしながら悶絶しちゃう。

 前者の感情を強火、とするなら後者はホットカーペットで低温火傷するようなもんだ。

 全然、大したことのない、それを自分でも分かっていて、かつ納得、理性でもそれを筋道だって説明できている、そんなもう、事後的で手遅れ、しかも取るに足らないものがどうして急に思い出されるのか。どうして悶絶しちゃうんだろう。



 こういうのは自分の心の傷、ってほどのもんじゃないな。心の歪みやヒビ、として納得した後も残っているものなんだろうか。
 
 過去のものを記憶して自我を形成して、それを事後的に認識、行動規範とするのが人間だって俺は思うんだけど、そういう意味で、そういう取るに足りていないミスも確実に心、自己に積み重なっているんだろうなあ。忘れることも多いけど。でも自分が忘れても歴史としてその事実は残るし、他人が覚えてくれていることもある。

 んでだ、そうやって積み重ねられた個々のエピソードは、自分、ってものをきちんと説明できるように、自分だって思えるようにそれなりに整理整頓されて、積み上げられていくんだと思う。

 けど、さっき言ったみたいな小さなミス、これを積むときが問題なんだ。大きなミスは大きな、取り返しのつかないものとして、取り返しがつかないという意味ではその存在は歴然としていて、積み重ねる上では、バランスの取れたものなんじゃないだろうか。だってそれは、「もうそんな失敗をしない」とか「俺はだめ男だ」っていう自分の形成に大きく関わるものだから、成功のエピソード並みに形が整っていて、積んでいくのもたやすい。


 じゃあ、さっきから言っている凡ミスエピソードは?これはちょっと違う。

 自分としては納得いっているんだけど、それは、認識されるほど重大かつ深刻だと思っていないから、さりげなく積んでしまう。
 けど、それは識別上は確実にミスだから、そうやって積み上げたいのに、自分の中では大したことない、捨てても良いような物だって思って積もうとするから、そのアンバランスさ、矛盾のせいでどうしてもそれは歪んで記憶されるんじゃないかなあ。

 ほら、ジェンガでいうと、一段だけ、2本しかないような状況。
 安定しているからそのまま上に積み上げて、生きていこうとするんだけど、何かの拍子にゆれて崩れそうになる。


 納得して、もう説明がつくものなのに、また後悔してしまう。些細なものでその歪みを意識できていない故にわけわかんない。上が崩れないように、大したことないものとしてその後を生きてきたことを正当化するためにも、大きく揺れたときにはもう一度後悔しなおして納得して、正当化したいんじゃないかなあ。

 その時、「ああすればよかったね。」「ああしなかった俺はヘタレだ」っていう再認識をして、とりあえず上に積みあがったものの揺れを止める。でも歪みは消えてないからまたそのうち、上のを大きく揺らそうとしちゃう。


 んで、何が言いたいのかって?結論は考えていなかったなあ。

 ただ、そういう、些細過ぎて歪みになっている記憶も確かに俺のもので、んで俺はそれを「些細」って断定しちゃっているし、上には色々積みあがっちゃっているから変えることも難しい。

 だから、これからも、悶絶していくしかないのかなあ。でも、悶絶しながらもちゃんと整合性は見つけなおしていくべきだよね。うん。でなきゃ、悶絶損だもん。


 以上!


 これって結局、何にも大したこといってねーなあ。結局、自分大事に、過去も大事にってか?
 これ書いていることとその内容に整合性がねえつーの。へっ、学生だもん良いじゃんよ。
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