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生まれ変わったら何になりたいですか?

 むきゃー!久しぶりの更新です。ぶっちゃけ、中間テストやゼミや模擬国や、将来のための準備や、趣味の読書や、漫画の立ち読みなどで忙しいです。ブログの優先順位は低いのです。

 え?漫画を立ち読みしている時点で余裕があるって?いやいや、俺にとっての漫画は生きていくための糧みたいなものですから。いばるな。

 今日こそは色々書こうと思っていたのですが、新歓合宿のころから暖めてきた「格好付けシリーズ」があるのですが、


大事にしすぎて忘れました。

 木の実を埋めて隠したままどこに埋めたか忘れたリスのようです。


 というわけで、今日は別のことを書きます。珠玉の格好付けは思い出したら、書くよ。

 というわけで、今日は生まれ代わりについて。

 なんとも、はぁ?って感じのないようだけど、思いついたから書くのです。

 正直、霊魂とかあの世とかは半端にしか信じていないけど、そういうのを扱う小説は結構好きです。映像にしたらだめですけど。漫画なら可。

 そんなことはおいといて、生まれ変わり。まあ、生きている人が皆生まれ変わるのだとしたら、世界人口は常にほぼ一定でなければならないのだから、生まれ変わりなんてありえねーよっていうつまらない話ではありません。そんな大人の理屈に俺は惑わされない!!

 まあ、それはおいといて。閑話休題。

 僕が霊魂を信じる信じないに関わらず生まれ変わりってあるよなあ、とこの間電車の中でマーケティングの本を読んでたらふと思いついたのです。何の脈絡もないのにね。


 この世界には質量保存の法則やエネルギー保存の法則というものがある。今日日中学生でも知っている物理学の根底を成す法則である。

 この世界のあらゆる物質は形を以下に変えようとその総質量や総エネルギーは変わらないというものである。

 つまり、僕らが死んで土に返ったとしても、僕らを形成する炭素や酸素、窒素は形を変えたとしても永遠にこの世界を漂い続け、何かを形成していくのだ。

 感情の元である脳内の電気信号も、エネルギーであるとするならば、それは分子間の振動である。感情が生じた際のパルスは元々他人の別の感情を生じさせたエネルギーかも知れず、そして今回生じ、開放された振動は空気中を伝わり、そのエネルギーは形を変えて別の場所へと蓄積され、また開放されるのを待っているのかもしれない。また別の誰かの感情として開放される瞬間を待ち続けるのかもしれない。


 僕はどこかの地面の生まれ変わりかもしれない。あなたはどこかの白の外壁の生まれ変わりかもしれない。あなたが消費する石油はあなたの前世の分身が形を変えたものかもしれない。


 そんなことをマーケティングの本を読んでいたら思いつきました。科学的知識が抜けつつ頭なので、色々間違っていそうだけど(つーか穴はあるだろう。エネルギーの当たりとかは特に)


 こんな妄想で何が言いたいかって?

 いや、地球の命って繋がっているよな~って。目の前の石ころと君は前世では一心同体だったのかもしれないんだよ?そんだけ。特に意味なーし。

 以上!!
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自己の他者への認識に関する2、3の考察

 最近格好つけシリーズしか書いてない気がします。リサーチしろよ。戸は言いっこなしです。だって~、まだBG読んでないし~。4、5日にまとめてやります。頑張ります。

 ま、いいじゃん?

 気にすんな。俺は気にしない。

 あーんで、今日は何を書くか、と。毎度毎度仰々しいタイトルつけているけど、ようは自分の認識について。基本他者についてね。


 俺は人に嫌われたくない。

 ま、嫌われたい人はいないだろうケド、嫌われても良いって人はいるだろう。だけど俺は嫌われたくないんだ。

 俺の気持ちは今回関係ない。ここで重要なのは嫌う、嫌わない以前に、人を嫌うとはどういう意味を持つのか?

 人を嫌うということ。自分以外の誰かを強く意識するという意味では憎悪は、好意とさして変わらないのではないかと言う人が結構いる。これが正しいかはともかく、自分ではない誰か、「誰か」として認識し、背景ではなく、意思を持ち自律的に動く一固体として識別し、その自律的な行動を容認できないが故に態度を形成している。
 
 このことそのものは止めようがない。誰かが誰かを殺したいほど憎むことなんてざらだし、それを阻むのは人の何かを「憎む」権利を侵害していることになる。

 それでも恐らくは多くの人が誰かに嫌われたくない。可能ならば好かれたいと思うのは、なぜか。


 誰かに好かれようと、嫌われていようと、相手の主観、判断をこちらからは真に判断することなどできず、どう思われているかの判断は僕らが相手にどう思われているかと思っているかでしかない。そうである以上、結局この世の中、特に対人関係は全て自己完結するものである。

 
 ならば、僕らは自分の中でどう判断するかしかないのではないか。つまり、「この人にはこう思われている」と信じ、それにあわせた対応をしていくしかない。
 また、その判断も主観であり、相手の主観を真に理解することが出来ない以上、相手の主観に頭を悩ませるだけ時間の無駄であり、する必要はないという考えも出来る。


 まあ、これはいきすぎで、ここまでやるとただのわがままになるんだよね。

 だけど最終的な判断の根底にはきっとこの考えがある。


 それでも人は人に嫌われたくないと思う。嫌われていないと信じることさえ出来れば、その瞬間その人にとっては誰からも嫌われていないという事実が出来上がるにもかかわらず、だ。

 難しいね。


 嫌われたくないという気持ちそのものがもう、自分の中にしかないあやふやなものだというのに、それを解消する術が自分の中にしかないのだから。



 自分と自分の皮より外の空間全て、すなわち自分以外しかないこの世界で、全ては個々人の皮の中で起こっている。

 皮の外は現象に過ぎず、皮に浸透して初めて事実、出来事になる。


 でも、出来事に変えているはずの皮の中の変換を自分達は自由には出来ないのだから。それはもう難しい。


 難しいけど、そう願っていくしかないんだよなあ。



 あ~~~~、以上!!

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